
父親とともに性格派俳優として、また奇行や言動等で話題も集めたギョーム・ドパルデューさんが、2008年10月13日の午後、搬送先の病院で亡くなられました。死因はウイルスによる急性肺炎。撮影が行われていたルーマニア(撮影はすべて終わっていたそうです)からのパリ郊外のガルシュの病院へ緊急搬送されたものの、間に合わなかったそうです。
ギヨームさんは1971年4月7日生まれ。怪優・名優として名高いジェラール・ドパルデユーとやはり女優のエリザベット・ドパルデューとの間に生まれました。妹は、やはりフランスの人気女優のジュリー・ドパルデュー。
父親の女性遍歴などから、父親への不信感をたびたび口に出し、そして、車のスピード違反、暴行事件、ドラッグ、アルコールなど数々の事件も起こし、逮捕の経験もあるなど、問題児としても有名でした。
俳優としては1991年、アラン・コルノー監督の『めぐりあう朝』でデビュー。出演映画数は20数本。また、フランスの長時間テレビドラマの『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』などにも出演。
1995年には、オートバイ事故から右足に重症を負い17回もの手術を受けました。翌年の1996年には、フランスのアカデミー賞であるセザール賞で、今後、最も期待できる若手俳優に贈られる賞を受賞。
1999年にはカラックス監督の『ポーラX』の主役になりました。この映画で、彼のかもし出す独特の影が日本および世界でも注目されました。
2002年には、父親のジェラールとジャコブ・ベルジェ監督の作品で共演。長年のわだかまりがこの作品で解けた、と言われています。同じ年に、俳優友達でもあったヴァンサン・ペレーズの初監督作品『天使の肌』に出演。人をけなすことで有名だったギヨームが、テレビ番組でペレーズの才能を褒めていたのが印象的でした。
2003年には、事故から8年の月日が経っていたものの、細菌感染が発見され、右足を切断。また、この年は脅迫罪などで懲役刑を食らうなど、俳優とは別のところで話題を集めました。
2007年にはジャック・リヴェット監督の『ランジェ公爵夫人』に出演。演技に深さと磨きがかかったことを証明させるものでした。
2008年のカンヌ映画祭では、ある視点週間で彼の主演の『ベルサイユ』(ピエール・シェレー監督)および『戦争から“De La Guerre”』(ベルトランド・ボネロ監督)の2作品が見られました。ベルサイユは2008年8月13日にフランスで封切られ、捨てられた男の子を育てる、浮浪者役(人間的に社会的な意味で問題があるものの、感受性があり、そして陰のある、いわゆる魅力的な男、という彼の真骨頂の役柄)で批評家から役者として大きな評価を得ました。
“De La Guerre”、そして、死亡直前にルーマニアで撮影の終わった映画の2本が彼の遺作となります。
俳優だけではなく、今後は政治の世界に行きたい、とも言っていましたが、37歳で亡くなりました。(Akiko ONUMA)
comment
コメントの投稿
trackback
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)