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WISEPOLICY


Yoko
経歴:1983年生まれ。フランスの看板とお菓子の箱のデザインに惹かれ、それらの勉強のためにフランスへ留学。フランスと日本の違いに戸惑いながら、はや在仏4年。フランスの食文化、映画、街で見たものなど、日本の皆さんにちょっとしたパリの面白い情報をこのブログでお届けできれば、と思っています。

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父親とともに性格派俳優として、また奇行や言動等で話題も集めたギョーム・ドパルデューさんが、2008年10月13日の午後、搬送先の病院で亡くなられました。死因はウイルスによる急性肺炎。撮影が行われていたルーマニア(撮影はすべて終わっていたそうです)からのパリ郊外のガルシュの病院へ緊急搬送されたものの、間に合わなかったそうです。
ギヨームさんは1971年4月7日生まれ。怪優・名優として名高いジェラール・ドパルデユーとやはり女優のエリザベット・ドパルデューとの間に生まれました。妹は、やはりフランスの人気女優のジュリー・ドパルデュー。
父親の女性遍歴などから、父親への不信感をたびたび口に出し、そして、車のスピード違反、暴行事件、ドラッグ、アルコールなど数々の事件も起こし、逮捕の経験もあるなど、問題児としても有名でした。

俳優としては1991年、アラン・コルノー監督の『めぐりあう朝』でデビュー。出演映画数は20数本。また、フランスの長時間テレビドラマの『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』などにも出演。

1995年には、オートバイ事故から右足に重症を負い17回もの手術を受けました。翌年の1996年には、フランスのアカデミー賞であるセザール賞で、今後、最も期待できる若手俳優に贈られる賞を受賞。
1999年にはカラックス監督の『ポーラX』の主役になりました。この映画で、彼のかもし出す独特の影が日本および世界でも注目されました。

2002年には、父親のジェラールとジャコブ・ベルジェ監督の作品で共演。長年のわだかまりがこの作品で解けた、と言われています。同じ年に、俳優友達でもあったヴァンサン・ペレーズの初監督作品『天使の肌』に出演。人をけなすことで有名だったギヨームが、テレビ番組でペレーズの才能を褒めていたのが印象的でした。

2003年には、事故から8年の月日が経っていたものの、細菌感染が発見され、右足を切断。また、この年は脅迫罪などで懲役刑を食らうなど、俳優とは別のところで話題を集めました。

2007年にはジャック・リヴェット監督の『ランジェ公爵夫人』に出演。演技に深さと磨きがかかったことを証明させるものでした。

2008年のカンヌ映画祭では、ある視点週間で彼の主演の『ベルサイユ』(ピエール・シェレー監督)および『戦争から“De La Guerre”』(ベルトランド・ボネロ監督)の2作品が見られました。ベルサイユは2008年8月13日にフランスで封切られ、捨てられた男の子を育てる、浮浪者役(人間的に社会的な意味で問題があるものの、感受性があり、そして陰のある、いわゆる魅力的な男、という彼の真骨頂の役柄)で批評家から役者として大きな評価を得ました。
“De La Guerre”、そして、死亡直前にルーマニアで撮影の終わった映画の2本が彼の遺作となります。
俳優だけではなく、今後は政治の世界に行きたい、とも言っていましたが、37歳で亡くなりました。(Akiko ONUMA)


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